「……眠い、疲れた、帰りたい」 皆が寝静まった深夜。隊務の為屯所から離れた場所に来ていた沖田は、一向に現れない待ち人への愚痴を吐き出した。幹部隊士らしからぬ子供じみた愚痴に、その場に居合わせた山崎は眉を潜め、「またか」と肩を落とす。 「沖田さん、我慢してください。情報は確かですから、きっともうすぐ……」 「無差別に人を襲ってる浪人が、この辺に出没するんでしょ? 解ってるけど、待ち伏せって退屈なんだよ」 沖田は欠伸をしながら、背筋を伸ばす。京の平和を脅かす者がいれば、それを排除するのが新撰組の役目だが――長時間その場に留まっているのは、中々に神経を使う。 どの場所に浪人が現れるか不確定なため、複数の幹部隊士が各場所に配置されているのも、沖田にしてみれば不満だった。 「僕の所に来てくれたら良いんだけどなあ……他の人に手柄を取られるのは面白くないし」 「何を言ってるんですか。一番大切なのは、目的の人物を捕縛する事です。誰がやろうと構わないでしょう」 「嫌だね。ここまで待たされたんだから、憂さ晴らし位させてくれないと気が済まないよ」 「沖田さん……」 山崎は再び口を開こうとして、押し黙る。どうせ、何を言っても無駄だろう。この性格は生まれつきなのだ。土方でさえどうにもできない沖田の気性を、自分がどうにか出来るはずがない。 「もういいです。他の隊士への伝令は終わりましたから、暫く俺もこの場に留まらせて頂きます」 「ちょっと、何で君がここに残るんだよ! さっさと別の場所に行けば良いだろう! 僕は一人でやるって、態々志願したのに……」 「沖田さん一人では心配だから、俺が見張る事になったんです。ちなみにこの件は、副長と局長も了承済みです。反対しても無駄ですよ」 「ぐっ……。土方さんだけならともかく、近藤さんも一緒なら……仕方ない」 渋々ながら了承すると、沖田は何かを考えるようなそぶりをしながら、空を見上げた。 「月が綺麗だね。……ところで山崎君、さっきからずっと考えてたんだけど……暑くない?」 「は?」 「暑いだろう、暑いよね。昼間程じゃないけど、長時間じっとしているには耐えがたい気候だと思うんだけど、どうかな?」 「いきなり言われても……」 突然気候に関する話題を出され、山崎は困惑した表情を浮かべる。確かに暑いかもしれないが、昼間と比べれば雲泥の差だろう。気にする程の事でもないだろうに。 「何故唐突にそんな話を?」 「暑いから、気分だけでも涼しくなる様な話をしないかなって」 「ああ、怪談話ですか」 山崎は成程と頷く。ようするに、沖田は暇潰しがしたいのだろう。 隊務中に不謹慎だと思うが、断っても別の話題を出すだけだろうし、彼の眠気を消すのに効果的なら、少しばかり付き合ってあげるのも良いかもしれない。 「別に怪談じゃなくても良いけどね。背筋が寒くなるくらいの怖い話を知ってたら、教えて欲しいなって」 「少しくらいなら付き合っても良いですけど、隊務の事も忘れないで下さいね?」 「解ってるって。僕を誰だと思ってるんだよ、気配くらい察知出来るさ」 「まあ、そうでしょうね」 沖田程の実力があれば、話に夢中になり過ぎて敵を逃す――なんて事にはならないはずだろう。……多分。 一抹の不安を覚えつつも、山崎は静かに頷いた。 「話をするのは構いませんが、沖田さんが満足出来るかは承知しかねます」 「良いよ、退屈しのぎになれば十分だ。話してみてよ」 「解りました。では……」 そうして、山崎は静かに語りだした。 「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」 「……?」 「三日月の 水の底照る 春の雨」 「……???」 「春雨や 客を返して 客に行」 「……???????」 沖田は山崎の意図が解らず、眉間の皺を濃くしていく。いったい彼は何が言いたいのだろう。何故俳句ばかりを口にしているのだろうか。 「や、山崎君。それ、何」 「俺が暗記している、土方副長の俳句ですが」 「いや、それは解るよ。そんな下手な俳句土方さんしか詠めないだろうし……って、そうじゃなくて!」 動揺の余り自分で自分に突っ込むと、沖田は再度尋ねた。 「何で突然、土方さんの俳句の話になるんだよ」 「寒くなる話をしろと言われたので」 「……………」 沖田は驚きに目を見開き、山崎を凝視する。 自分も大概土方に対して酷い接し方をしているが、山崎の扱いは度を越してる気がした。 なんてひどいやつだろう 沖田は生まれて初めて、心の底から土方に同情した。 底冷えのする冷徹さ、と言うのは彼のような人間の事を指すのではないだろうか。 (……もうやだこいつ。早く帰りたい) 浪人よりも遥かに恐ろしい人物が身近に居たことに気付いた沖田は、思わず天を仰いだ。 こうして―― 山崎が口にしたのは【恐怖】の部類に入る話では無かったが、彼の思考そのものが恐怖の対象になり、沖田はその後真面目に隊務に励んだと言う。 |